TMO「株式会社まち工房たなぐら」
株式会社 まち工房たなぐら
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まちこ瓦版
Vol.11〜17
Vol.01〜Vol.10
Pick Up
赤舘の麓に伊野村生まれる
 天正十八年(1590年)、豊臣秀吉は小田原北条氏を征伐し、続いて秀吉は奥州の平定に乗り出した。これを奥州仕置という。このとき小田原へ参陣しなかったことを理由に白河氏や石川氏は所領を没収された。赤舘以南は常陸佐竹氏領となった。八槻神社は小田原の秀吉に贈り物をして社領を安堵(あんど)された。馬場神社も同じことをして安泰だったのだろう。
 秀吉はまもなく石田三成らに命じて検地を実施させた。白川郡には文禄三年(1594年)十月、三成一行がやってきて田畑や屋敷地の面積を測り生産高を調査し耕作人を確定した。これは世に太閤検地と呼ばれ、生産高を米の量で計る単位「石」で表示するということとし、村ごとに作成された検地帳をベースに年貢を取るという画期的な政策だった。こうして村名を決め村の範囲を確定する「村切り」が実施され、赤舘の麓に広がる台地は伊野村という名で公的に認知された。一宮への参拝客もあってかすでに町場化しはじめていたのである。

注)安堵(あんど) 堵は垣の意、将軍が領土の所有権を認めたこと。
タイトル写真/蓮家寺の周辺、この辺が伊野村の一部。

歴史読み物「棚倉、城とまち」 目次
第1回 「町の移り変わりを見守る欅(けやき)の巨木」
第2回  「野球少年を育んだ城跡」
第3回  「欅は馬場都々古別神社のシンボルだった」
第4回  「赤館の麓に伊野村生まれる」
第5回  「勇将、立花宗茂の入村」  
第6回  「聖地の上に築城する戦国武将」
筆者プロフィール
青木 美智男

昭和11年、福島県東白川郡棚倉町南町生まれ、現在東京都北区在住、専修大学文学部教授。著作[単著]『近世非領国地域の民衆運動と郡中議定』(ゆまに書房 2004年)[編著]『番付で読む江戸時代』(柏書房 2003年)[史料集]『東海道神奈川宿本陣石井順孝日記』1〜3(ゆまに書房 2001〜3年)他多数。
1954年(昭和29)
1962年(昭和37)
1965年(昭和40)


1974年(昭和49)



1997年(平成9)
福島県立東白川農業商業高等学校商業科卒業
明治大学文学部史学地理学科卒業
東北大学大学院文学研究科修士課程を修了
神奈川県史調査執筆委員、新潟県史編集委員、
神奈川大学経済学部・中央大学法学部で非常勤講師
日本福祉大学社会福祉学部(助教授)に奉職のち経済学部に移り教授
この間、教務部長・付属図書館長・就職部長・経済学部長を歴任。
愛知県立大学・名古屋大学・愛知大学・新潟大学・愛知教育大学で非常勤講師
愛知県史専門委員(近世部会長)として現在へ至る
専修大学文学部(教授)へ移り現在に至る。
早稲田大学大学院文学研究科および法政大学大学院文学研究非常勤講師を兼任
現在 専大大学院社会知性開発研究センター歴史学拠点所長


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